あんまり抽象的に言い続けてもあれだから言語化しておこうかな
プロパガンダとして利用されてなお物的に想いを遺す媒体に音楽と詞を使うほど歌そのものは自己表現として好きだったであろう彼女が、曲をあそこまで作り上げておきながら声を吹き込むほぼ最終の工程を経ず「未完」で終わらせたのは届けたい特定個人あるいは大衆がもういないからでは?(自分の中で完結させられるならそのまま歌い上げてしまえばいいので)と考えており、それを事情も知らない第三者が後から成果物だけを攫って楽曲として完成させてしまうのは違うと思ってしまう…
